ツアーレポート「ジョホールバルの蒼い月」

CHAPTER 9 Triumph

日本に帰ってきて、結構すごいことになっていた。Kのけーたいには10件以上のメッセージが入っていた。アウェイゲームのときスポーツバー状態になっていた飲み屋のパパからは泣いたような声で「お前らなにやってんだ早く帰ってこい!」と絶叫したメッセージもあった。Fには国立で仲間になったチャとチェから直接電話がかかってきた。電車の中でも知らない人から声をかけられ日本中が沸いているのが肌に伝わってきた。案の定、スポーツ新聞は全然売っていなかったが、この日新幹線のダイヤは終日乱れており、そんなこともつゆ知らず、上野まで来た僕たちは、上野の地下の中途半端な位置にあるキヨスクに手付かずで残っているスポーツ新聞を見つけ日本勝利の時間まで出稿を待った全紙を買った。上野の東北新幹線ホームはダイヤが乱れていることを知ってか人はそれほどいなかったので僕たちはまあ明日仕事に行けなくても別にいいやと新聞を敷いてジベタリアンになり宴会を始めた。Nと「ラーキンスタジアムに比べれば上野の新幹線ホームなんて全然きれいだよな」なんて言いながら酔っ払ってマーライオンのぬいぐるみやスポーツ新聞をならべた写真を撮ったりして新幹線が来るのを待った。ダイヤがパニックになった新幹線は満員電車で駅員に詰め寄る乗客もいたし、僕たちにうるさいとか言うおやじもいたので、狩ってやろうかこのはげとか思いつつ相手の血圧や脈拍を上げるようなことを聞こえるように言ってやったりもしながら、ようやく18日の午前1時前に新花巻に着いた。私とNは帰ったが、新幹線の中で、ドーハから4年間、一度もカレーを食わないでいたFにカレーを食わせようということになり、KとFはカレーを出してくれる店を探しに街に行った。KとFは夜道で岩手の寒空に浮かぶ月を見上げながら昨日のことを思い浮かべたそうだ。家に帰った私はビールを飲みながら試合のビデオを見ていたが、いつの間にか寝てしまった。

18日の午前まで休みを取っていた私は、なじみの写真屋に今回撮影したフィルムをわたし、ホームページの更新を簡単に済ませ何通かのお祝いのメールを読み、午後から出勤した。出勤するや否やである。職場のみんながいっせいに集まりあっという間に取り囲まれ歓喜の出迎えを受けた。よかったよかった、嬉しいよ、アベドザデぶっ殺す、おめでとう、感動した…。僕は1サポーターとして現地に行っただけだがまるで選手であるかのような熱烈な歓迎を受けたのだ。みんな、嬉しいんなら、応援していたんなら言ってくれればもっとみんなで盛り上がれたのになあ。とにかく、庁舎内のみならず、出先からも用事にかこつけ祝福に駆けつけてきてくれた人もたくさんいてこの日は仕事にならなかった。この日は課で11月上旬にヨーロッパに研修に行っていた上司の帰国報告会であり、私は日本が勝ったなら出席すると話していたのだが、当然ながらすっかり主役は私になっていた。その日はすっかり日本対イランの話題ばかり、私が話の輪にはいることなくサッカーの話題で持ちきりの姿なんて初めて見た。子供が一生懸命夜中まで起きてテレビを見ていて勝った瞬間子供が絶叫してしまい熟睡しているところを起こされたおとうさんとか、寝ている小さな子供を起こしてしまったお母さんとか。みんなが見ていたんだなあって思うとなんか感動してしまった。しかしこの日、私は当然ながら一緒に応援し続けた仲間との祝勝会も入っていたため中座しなければならなかった。

祝勝会はもうすっかり余韻モード。盛岡在住のFは来られなかったが、一緒に応援し続けた仲間がみんな集まり、東京最終版のスポーツ紙や私が撮影した写真を見ながらすごく盛り上がってしまった。本大会をどうするかという前向きな話ももちろんした。僕だけではなく、みんなも今までの冷ややかな眼差しとは一転し同様の熱烈な歓迎を受け、反響の大きさに戸惑っている様子だった。ただ、神聖なる響きを持つ応援のバリエーションをイッキの掛け声にしてしまう僕たちの悪癖も出てしまい、飲み会は修羅場と化した。飲み会の最中、NHKで岡田采配にスポットを当てた特別番組や、ニュースステーションがあり、予選の映像が流れると、これまであったいろんなことを思い出してしまった。男が泣くことを許される数少ない場面だと、僕は思った。祝勝会に来ていたKの同僚の女の子が色々思い出したらしく、言葉が出なくなっているKに向かってどうして泣いてるのと無邪気に聞くので僕はそれを遮り、投げ出したりせず、信じて追い続けること、それを貫き通した男の生き様が報われたんだよと話してやった。彼女にしっかり伝わったどうかは分からないし、Kはもしかしたら泣いていたのではなく寝ていたのかもしれない。でもワールドカップは人の心を映し出す残酷な試練の鏡であるということも経験として知った。ロールプレイングゲームのハッピーエンディングのような楽しい宴は長く続いたが、選手同様、僕たちにも予選の疲れが出ていたのでおひらきにした。

今年一番、いや、ここ何十年かで一番の素晴らしいニュースの余韻はしばらく続いた。ジョホールバルに行った僕たちに向かってお土産は?なんて間抜けなことを聞く奴がいたのでこう答えてやった。

「お土産は、もう届いているはずだ」

FIN

CHAPTER 8

Bonjour Nippon Index

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